naomiguel’s blog

歌うたいナオミゲールのさんぽ道

TAO への一日 友と 丘に登る


f:id:naomiguel:20170522140950j:plain

ここのところ、ぱんぱんになってしまっていた
新しい学びや、はじめましての人たちとの出会いの場にいて

とても多岐にわたり 実践的なことや

自身の変容も伴う エネルギーも使うものだから


もう ちょっと限界、と

腹さえもたってきたようなころ
(疲れると、被害者届け出したいような気持ちにもなる)


そんな頃 急に夏のような陽射しの

でも、からっと、気持ちのよいような日に

(私は、夏生まれのせいか、こんな陽気になると元気になる、私の季節 ・・・みたいな)




f:id:naomiguel:20170522142400j:plain



月に一度の クンルンクラスがあった。

細かいきらきらの粒子が 体の中を巡り

洗い流され浄化もされ

細胞ごとに生き返るような

この クラス この 空間 が やはり

大好き。


やっと ここまで、立つということができるところまで 来た。

長くかかったなあ、

でも、諦めたくなくて、行きつ戻りつしながらも

膝を痛めて立っていられず、お休み期間にこの世、現実に生きている
自分の身体の重みをじっくりと感じながらも、

続けてきた。 また ここで

また、一からの始まりのようで

本当に嬉しい。




f:id:naomiguel:20170522143333j:plain

そして、クラスが終わって、息を吹き返したあとで

道をともにすることになった、古くからの(魂的に)友人と

フィオーレの森の 丘の上の礼拝堂に

登っていゆき、いっぱい心の内を 
話した。

ときに奥底に触れて涙も出たりしながら


自分がこんなに喋ってるのが、珍しかったし、可笑しかった。


きっと、ここでの再会を、魂が喜んでいたのだろう。
色んなことを、話した。

普段は無口な方の自分であるが

この領域にただ一緒にいて

共感しあえる友人が、染々ありがたい。


私は 友人と思える人は 

人生において出現するようになったのは、わりと最近だから

ほぼずっと 

疎外感とともにあったから

子どもの頃  学生時代 そのあとも

(たまには、それでも、こんな私に心を向けてくれる人もいて、
そんな人たちには、一生感謝を忘れないでいる)



クンルンはTAO への道でもあるが、先生が

TAO について、話されていたのが、

ちょうど、いま、学んでいることの中でも浮かんでいた、私の中にあった問いへの
答えでもあるような

始まりでもあるような

この生を、どう生きるか

ということ、そのことにリンクしていて

大きく 腑におちることあり

すごいなあ、宇宙 

すごいなあ、私たち、一人一人

と思った。

宇宙との一体とか合体とかが終着点ではなく、そして、

とりたてて何かをしなくても、生きていることすでに創造であり
(これは私の解釈の一部)



肚にその種をしっかり育てよう。


https://youtu.be/Ky8DqlkgDrk

これは、その友人に贈りたい曲

いつか、これで踊ってほしい。

生きている奇跡、喜びである生命そのもの、これまでが苦難の道のりであったとしても、たとえ千の暗い夜があろうとも、その中にあったはずの、人間の尊厳をも思い出せるような、そんな気持ちになるような曲

歓喜の歌

一緒に真の創造の海へ 漕ぎ出そう

はじめは、おっかなびっくりだっていいんだよ。

これが始まりなんだから。

ヘブン アーティスト に憧れがある。 
路上にもっと、歌とダンスも音楽も。


f:id:naomiguel:20170522144938j:plain